プロフィール - 起業から現在まで

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前回より続く

3人の仲間を引き連れ、妻には経理などをやってもらい、
5人の船出だった。

私も含め、賃金はとにかく安かった。

3人の仲間の1人は、今も弊社でがんばってくれている。

ある技術の機器がどうしても必要だったため、2,000万円の借金をしていた。

財務どころか経理も全く分からない私でさえ、
仕事がなければ半年も持たないことは理解できていた。

だから、起業当初は一日中駆けずり回って仕事を取り、
間違いのない仕事をして納品する毎日の繰り返し。

とにかく築きあげた人脈をもとに、
頭ではなく足で稼ぐことに必死だった。
 

最初の一年はこの必死さもあり、
顧問税理士が驚くほどの利益を出すことができた。

このことでいい気になった私は、起業2年で広いところに移転し、
あっという間に社員も10名になっていた。

だが、業績が良いのは長くは続かなかった。

最も売上の多くを占めていたクライアントが、
我々が持っている技術の部分を完全内製化することにしたのが、
最大の要因である。

まもなく、売上は半分近くにまで落ち込んできた。

楽観主義者の私でも、さすがにこの頃は先が見えず、
不安に襲われることが多かった。

東京タワーが近くにあったこともあり、
展望台に上り、高いところから東京をぐるりと
眺めていることもよくあった。

なぜそのような行動をしたのか、
当時は自分でも考えなかったが、今から思い返すと
「これだけ会社があるのだから、必ず仕事はたくさんある」と
自分に言い聞かせて、安心するためだったのだろう。

その後まもなく、1996年
デスクトップパブリッシング(DTP)との出会いがあった。

当時「これはいける!」と直観し、
零細企業としては比較的早く全社的に導入していった。

お金はかかったが、この投資のおかげで早くも成果が現れ、
経営もある程度安定し、一時期の不安もそれ程感じなくなってきていた。

その頃、徐々に増えてきた仕事は販促ツールなどの制作だった。

そして、クライアントの求めに応じてさまざまな販促ツールを
手がけていたある日、パンフレット作りの手伝いをした飲食店へ
向かった時のこと。

閑散とした店内を見て、漠然と不安を感じた。

「うちで作ったパンフレットはどこにあるのだろう?」
そんな疑問が頭をよぎる。

飲食店のオーナーはこのパンレットを納めた時、
「きれいにできたね」と言ってくれていた。

だから、一生懸命に取り組んだ私は
オーナーの満足を得られたと思っていた。

だが、パンフレットは活用されていなかった。
その上、店も閑散としている。

これがお客に喜ばれる仕事なのだろうか?

何か虚しさだけが残った。

これがきっかけとなり、「広告・販促の効果を追求する」という
思考に転換するようになっていった。

現在約20名のスタッフを抱えるまでになり、
ここ数年、クライアントが自分につけたキャッチフレーズは、
「最終的に広告を打たせない広告屋」。

少々気負ったフレーズだが、
私が大切にしてきた販促活動が徐々に浸透してきた証だと思っている。

多額の広告宣伝費などかけられない規模の小さい会社に、
効率の良い適正な費用の販促手段を提供することで、
その成果を共に喜び合いたいというのが、
仕事観の根本となり、今もその考えは変わっていない。

 

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