しょうゆの老舗ブランド企業ヤマサ醤油の“うまい”経営資源活用 ~コロナワクチン生産に必須の原料シュードウリジンをなぜヤマサ醤油が開発できたのか~

2020年から世界的な感染症問題となっているコロナウイルスですが、2021年から対抗策としてのワクチン接種が大規模に開始されました。そのワクチン生産に必須となる原料を、日本の伝統的食品を製造する老舗製造会社が提供しているということで、ネットで話題を呼びました。

新型コロナウイルスワクチン 日本が誇る“しょうゆ”老舗企業が原料製造

新型コロナウイルスのmRNAワクチン。このワクチンには、調味料の日本の大手製造メーカー「ヤマサ醤油」が製造する原料が使われています。いったい、なぜ?そして、その原料とは?

ヤマサ醤油 ロゴマーク

「ヤマサ醤油」(千葉・銚子市)は正保2年(1645年)の創業、300年以上にわたって食卓に欠かせない調味料“しょうゆ”を作り続けています。そんな老舗企業の伝統の技術がいま、コロナ禍の世界を変える“ワクチン”の原料として活用されています。mRNAワクチンに欠かせない重要な原料を製造、日本や世界で使われているファイザー社とモデルナ社に提供しているのです。

ヤマサ醤油が製造 新型コロナワクチンの原料とは

ヤマサ醤油が作っているワクチンの原料は、「シュードウリジン」という白い粉状の物質です。ワクチンでどんな役割を果たしているのでしょうか。

ヤマサ醤油によると「シュードウリジン」は、新型コロナワクチンのmRNA(メッセンジャーRNA)を構成する物質の1つで、私たちの体の細胞にも存在しています。mRNAは、体内で炎症を起こすことから、医薬品としての実用化は難しいと考えられていました。

しかし2005年、新型コロナウイルスのmRNAワクチンを開発研究したドイツの製薬大手、ビオンテックのカタリン・カリコ上級副社長と、アメリカ・ペンシルベニア大学のドリュー・ワイスマン教授の2人は、mRNAをこの「シュードウリジン」で構成すれば、炎症が抑えられるという論文を世に出したのです。

私たちの体は、異物が入ってくると防御するために免疫機能が作用します。この免疫機能が、体内に取り込まれたワクチンのmRNAを異物ととらえて、作用できないようにしてしまわないように、「シュードウリジン」で構成されたmRNAを使うことで、免疫機能を回避し、目的のタンパク質を生成することができるのです。

※コロナウイルスの突起部分=スパイクタンパク質のmRNAを投与すると、そのmRNAによりスパイクタンパク質が細胞内で生成され、結果それを攻撃する抗体が作られます。通常のmRNAでは、免疫機能により減少し、タンパク質が作られにくくなるところ、「シュードウリジン」に置き換えたmRNAの場合、この免疫機能を回避できるようになり、十分タンパク質が作られるようになります。

「シュードウリジン」がなければ、mRNAワクチンを接種しても、ウイルスを攻撃する抗体が十分に生成できないといっても過言ではありません。

なぜ、ヤマサ醤油が製造?

ヤマサ醤油のうま味調味料

なぜ、「シュードウリジン」の製造をヤマサ醤油が?ヤマサ醤油の医薬・化成品事業部の担当者に聞きました。

「日本の料理は、だしで決まる」かつおぶしやしいたけからとる出汁は、日本料理の味を引き立てます。ヤマサ醤油も長年この「うまみ」の研究を続けています。

かつおぶしのうまみの成分はイノシン酸、しいたけのうまみ成分はグアニル酸。これらは「核酸化合物」です。そして、シュードウリジンも「核酸化合物」の1つなのです。ヤマサ醤油は、1970年代から60年以上にわたって、核酸関連物質の研究をしてきました。1980年代には、試薬としてすでにシュードウリジンを海外に輸出していたのです。

コロナワクチンなど医薬品の原薬の新工場を建設へ

ヤマサ醤油本社(千葉県銚子市)

去年12月初め、ファイザー社が新型コロナのmRNAワクチンが世界で初めてイギリスの規制当局から緊急使用の承認を受けたと発表。その後アメリカも。

すでにヤマサ醤油は、「去年の秋にはシュードウリジンの増産体制を整えていました」と担当者。千葉県銚子市にある工場は現在、フル稼働だといいます。今年5月には、新型コロナウイルスワクチン等、核酸医薬品の原薬のための新たな工場の建設予定で、約30億円を投資すると発表しています。

では、なぜヤマサ醤油の原薬が新型コロナワクチンに使用されることになったのか?

mRNAは、新型コロナワクチンとして開発されるよりも前から治療薬や他のワクチンとして研究開発されてきました。その研究段階からヤマサ醤油が製造したシュードウリジンが使われていました。

担当者は「私たちはうまみ成分の研究に端を発して、長年、核酸化合物に特化して事業展開し、いち早く工業製造に乗り出して、シュードウリジンを製造供給してきました。製法は開示できませんが、私ども独自の製造方法があります」と世界の企業に負けない自信をのぞかせました。

(2021年10月10日日本テレビ系(NNN) yahooニュース 配信記事)
https://news.yahoo.co.jp/articles/1d542189ac5375071a86b0b844039985035b08e8

ヤマサ醤油社は、社名の通り大手醤油製造会社としての知名度を獲得しています。

そのヤマサ醤油が、今回コロナワクチンの原料生産に関わることになったのは、自社の経営資源をうまく活用し、「範囲の経済性」を上手に活用してきたからだとも言えるでしょう。

ここで、改めて「範囲の経済性」について、簡単に説明してみましょう。

範囲の経済性…社内で共有可能なコストを一元管理することで経営効率を図り、異業種・複数の事業活動を行うことです。

これに成功すると、複数事業で経営資源を共有することで経済性を高める効果があるので、比較的短期で企業が成長を遂げることができます。

その逆が、範囲の不経済と呼ばれるものです。

範囲の不経済…範囲の経済性は、自社保有資源を有効活用できることが前提となります。
そのため、新規事業が自社保有資源を活用できるものでない場合は、結局は資源の分散に繋がることになります。資源の分散はコスト増大やブランド価値の散逸などに繋がり、なおかつ人材不足を招くことで、領域を拡大するほど経営が行き詰まっていくことになるのです。
だからこそ、単に自社の保有資源の豊富さに頼ったかたちでの事業領域拡大は、非常に危険です。
範囲の経済性を求めるときは、ビジョン・経営方針・経営計画・経営戦略をきちんと立てた上で、予め撤退基準を設けて実行することが望ましいということになります。

ヤマサ醤油社は、長年にわたり複数の原料を用いて「うまみ」を追求する過程で、高度な醸造技術を磨いてきました。その技術の有効活用として、核酸化合物の研究やそれを活かした関連製品の製造に取り組み、今回の成果に繋がったのです。つまり、保有する経営資源を有効活用することで、コスト管理と異業種参入が可能となっており、結果として範囲の経済性を獲得できたということになります。
今後は、対象となる原料等で大規模生産が開始される見込みであるため、経験効果や規模の経済性も期待できます。それが可能になれば、ヤマサ醤油社は更に業績を伸ばすことになるでしょう。

ここで、経験効果と規模の経済性の相関性について、簡単に説明してみます。

経験効果…生産実績が増えるのに比例して、生産効率が向上していくという状態です。これは、担当者が業務に習熟することで作業能率が高まることや、歩留まり率(生産時の良品率)の改善など、複数の要素が関わって達成されます。経験が蓄積されるほどその効果は逓増していきますので、最初は改善が難しく感じるものがあったとしても、着実に取り組むことで確実に成果が得られるので、地道な経営改善には最も適した方法になります。

規模の経済性…生産規模を増大させることで、生産効率が良くなっていくことを言います。通常の場合、生産原料の仕入量増加によるボリュームディスカウントや、生産設備の拡充などにより、生産すればするほど1生産量あたりの原価が減少していくことになります。一般的には資本力の勝負になりがちですので、規模の小さい企業がこれを追求する場合は、自社の経営体力を考慮したかたちで実行することが好ましいと考えられます。

また、今回のヤマサ醤油社には当てはまらないのですが、経験効果や規模の経済性と関連するものとして、密度の経済性というものもあります。

密度の経済性…特定地域に集中して事業を行うことで発生する経済効果です。コンビニエンスストアのエリアドミナント戦略などがこれに該当します。特定地域に集中することで、その地域内での顧客占有率を高め、販売促進費や流通コストなどを抑える経済効果を期待するものです。

今回のヤマサ醤油社に話を戻しますと、これらの経済性を理解することで、

  1. 範囲の経済性を活かすことで、事業領域が拡大する
  2. 事業領域が拡大することで、規模の経済性を獲得する
  3. 規模の経済性を獲得することで、経験効果を得られ、業績が向上する

という、一連の流れが理解できるのではないかと思います。

実は日本の食品メーカーは、発酵・醸造に関連した技術が豊富な企業が多く、本業とは異なる領域でも独自商品で高いシェアや競争力を持つ商品を保有していることがあります。実際に、調味料の「味の素」で有名な味の素社は、半導体用の素材(ABF)をアミノ酸の副産物から開発し、世界シェアほぼ100%という商品になりました。世界の半導体製造の際には、欠かせない素材であると知られています。また、酒造メーカーの宝酒造で有名な宝ホールディングス社は、子会社のタカラバイオ社にて、これまで培ってきた発酵・醸造技術を基にしたバイオで医薬品の開発を行っています。
これらの事例から考えられることは、個々の企業においては、必ず強みの活きる領域があり、またその領域は一つであるとは限らないということです。

企業の経営資源には限界があるものです。だからこそ、自社の経営資源のうまい利活用について、改めて考察してみることが必要になります。アフターコロナでは、今までの事業領域では成長に限りがある企業も多くあるでしょう。自らの経営範囲や事業領域を限定することなく、業際的にも自社の成長の芽がどこかに潜んでいないかを検討してみてはどうですか。きっと、社内にはまだ見えない宝(うまみ)が眠っているのではないでしょうか。

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